「相対死」(あいたいじに)とは?
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元禄末から享保の初め頃、近松門左衛門の実際の心中を元にした数々の心中物が大反響を呼び、現実の心中ブームへとつながった。それを憂慮した八代将軍吉宗は心中を禁じ、心中物の上演も禁じた。そして「心中」という言葉も禁止して「相対死」とした。
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歌舞伎の変遷
江戸人にとって歌舞伎とは
幕府にとって歌舞伎とは
江戸三座

芝居興行
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役者は座元と一年の専属契約。
まず座頭を決めてから座頭とも相談し、一座の顔ぶれを決めていく。座頭を誰にするかは、一座の存亡に関わる重大事であった。
この契約更新をするのが11月の顔見世興行で、顔見せは芝居町の正月と言われた。 |
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| 『曽根崎心中』『心中天網島』『女殺油地獄』などなど。人形浄瑠璃から歌舞伎化された。 |
江戸っ子の芝居の見方
かしこまって鑑賞する者はいない。煙草はもちろん飲み食いも自由。しかし肝心な場面は心得ており水を打ったようになった。まずい芝居には容赦なくヤジを浴びせミカンの皮を投げた。客と舞台に一体感があった。 |
同時代(江戸時代)の話は御法度
時代設定を江戸以前の過去の世界にした。
『仮名手本忠臣蔵』
南北朝時代
吉良:高師直(こうのもろのう)
浅野:塩冶判官(えんやはんがん)
大石:大星由良助(おおぼしゆらのすけ) |
| 官許のしるしとして芝居小屋正面の屋根には櫓(やぐら)を置き、 座元の紋を染め出した幕を引きめぐらせた。 |
宮地芝居(みやじしばい)
江戸三座以外にもあった芝居。町奉行管轄外の神社や寺の境内で小屋がけで興行した。 |
| 幕の内弁当
芝居小屋で食べる弁当を笹折に入れ「幕の内弁当」と名付け売り出した。日本橋芳町 懐石即席料理「万久(まんきゅう)」
おりぎり(小)10ヶ
玉子焼き
かまぼこ
煮しめ(かんぴょう・こんにゃく・焼き豆腐) |
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定式幕(じょうしきまく)
歌舞伎の正式の引き幕。官許の三座だけが許された。これら以外の宮地芝居などは上下する緞帳(どんちょう)を使用したので、「緞帳芝居」「緞帳役者」と蔑まれた。
客席から見て右から
中村座:黒・茶・白
市村座:黒・茶・緑
森田座:緑・茶・黒
明治中頃以降市村座のものに統一
茶=柿、緑=萌黄
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座元
公許の名義である「名代」の所有者、劇場主。役者を集め一座を組み興業上の一切の責任を負う。
帳元
実務の総責任者。役者の人事権を持ち経営の一切を取り仕切る。
奥役
楽屋に関する一切の事務を担当。
金主
スポンサー。興業の内容から役者の給金、興業の経費節減まで干渉した。複数名で出資した。
座頭(ざがしらともいう)
一座の役者をまとめ、芝居の演出もした。 |
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