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              碑   文 
            
          
            
              秤座(はかりざ)跡 
                所在地 中央区日本橋三ー七 
                秤座は、江戸幕府の認可を受けて、全国の秤の量目の統一を図るため、秤の製造・検査・販売等の権利を独占した御用商人の事業所です。江戸と京都の二か所に置かれ、江戸の秤座は守随(しゅずい)家が東国三十三か国を、京都の秤座は、神(じん)家が西国三十三か国を管轄しました。 
                守随家は、もと甲斐の武田家に仕えた秤師で、のちに徳川家康に仕え、江戸開府と共に江戸に出て、徳川家領であった関八州の秤の責任者に任命されました。承応二年(一六五三)に幕府が公式に秤座を定め、事業所は初め、京橋具足町(京橋三丁目)に置かれましたが、その後各地を移転し、天保十三年(一八四二)、日本橋箔屋町の現在地に移転しました。 
                明治八年(一八七五)、明治政府の度量衡取締条例の施行によって、秤座は廃止されました。 
                江戸時代の度量衡に関する重要な史跡として、中央区民文化財に登録されています。 
                平成六年三月 
              中央区教育委員会 | 
             
           
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