一石橋迷子しらせ石標



説 明 板

一石橋迷子しらせ石標
所在地 中央区八重洲一町目十一番地先
指 定 昭和十七年九月   旧跡
    昭和五十八年五月六日種別変更
江戸時代も後半に入る頃、この辺から日本橋にかけては盛り場で迷子も多かったらしい。
迷子がでた場合、町内が責任をもって保護することになっていたので、付近の有力者が世話人となり、安政四年(一八五七)にこれを建立したものである。
柱の正面には「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、右側には、「志(し)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫り、上部に窪みがある。利用方法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙をはり、それを見る通行人の中で知っている場合は、その人の特徴を書いた紙を窪みに貼って迷子や尋ね人を知らせたという。いわば庶民の告知板として珍しい。このほか浅草寺境内と、湯島天神境内にもあったが、浅草寺のものは戦災で破壊された。
平成八年三月八日 建設
東京都教育委員会
 
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