郡代屋敷跡


左の橋は浅草橋


説 明 板

郡代屋敷(ぐんだいやしき)跡
所在地 中央区日本橋馬喰町二丁目付近
江戸時代に、関東一円及び東海方面など、各地にあった幕府の直轄地(天領)の、年貢の徴収、治水、領民紛争の処理などを管理した関東郡代の役宅があった跡です。
関東郡代は、徳川家康が関東に入国した時に、伊奈忠次が代官頭に任命され、のちに関東郡代と呼ばれるようになり、伊奈氏が十二代にわたって世襲しました。その役宅は初め、江戸城の常盤橋御門内にありましたが、明暦の大火(一六五七)で焼失し、この地に移りました。
伊奈忠尊が罪を得て失脚した寛政四年(一七九二)以後は、勘定奉行が関東郡代を兼ねてここに居住しました。
文化三年(一八〇六)に焼失した後、代官持ちとなって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。
平成六年三月
中央区教育委員会
 
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