高尾稲荷起縁の地



説 明 板

高尾稲荷起縁の地
江戸時代 この地は 徳川家の船手組持場であったが 宝永年間(1708年)の元旦に 下役の神谷喜平次という人が見廻り中 川岸に首級が漂着しているのを見つけ 手厚く埋葬した
当時 万治(1659年)のころより 吉原の遊女高尾太夫が 仙台候伊達綱宗に太夫の目方だけ小判を積んで請出されたのになびかぬとして 隅田川三又の舟中で吊し斬りにされ 河水を紅に染めたといい伝えられ 世人は自然高尾の神霊として崇め唱えるようになった
そのころ盛んだった稲荷信仰とも結びついて高尾稲荷社の起縁となった 明治のころ この地には稲荷社および北海道開拓使東京出張所(後に日本銀行開設時の建物)があった その後 現三井倉庫の建設に伴い 社殿は御神体ともども現在地に移された
昭和57年11月吉日
箱崎北新堀町会・高尾稲荷社管理委員会
 
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