浅野内匠頭邸跡



説 明 板

浅野内匠頭邸跡(都指定昭和六年六月)
所在地 中央区明石町一〇、一一地域
常陸笠間(茨城県笠間市)藩主浅野長直(一六一〇〜七二)は、正保二年(一六四五)、播磨赤穂(兵庫県赤穂市)に領地替えとなり、五万三千五百石を領して内匠頭と称しました。子の長友の代に分与して五万石となります。
ここから北西の聖路加国際病院と河岸地を含む一帯八千九百余坪の地は、赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷があった所で、西南二面は築地川に面していました。
忠臣蔵で名高い浅野内匠頭長矩(一六六五〜一七〇一)は、長友の子で、元禄十四年(一七〇一)、勅使の接待役に推されましたが、三月十四日、その指南役であった吉良義央を江戸城中で刃傷に及び、即日、切腹を命ぜられました。この江戸屋敷および領地などは取り上げられ、赤穂藩主浅野家は断絶しました。
平成七年三月
中央区教育委員会
 
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