ビバ!江戸
徳川265年間で江戸城に天守閣があったのは……たった50年だけ

江戸城は徳川家康、秀忠、家光の三世代に渡り諸大名の天下普請により30年をかけて築かれた。五層の天守閣は慶長十二年(1607)に建てられ、明暦三年(1657)の大火で焼失した後は再建されず天守台のみが残った。


江戸城

   
江戸城図面

本丸(表向・中奥)

江戸城の本丸図


補足
江戸の大奥
江戸城 城郭

表向(おもてむき)
大広間
江戸城内中、最大の建物。
将軍宣下などが行われる最も格式の高い御殿。
コの字型に上段・中段・下段・二之間・三之間・四之間とありすべてで500畳近くになったという。
上段・中段、中段・下段には7寸(21cm)の段差が設けられていた。

白書院・黒書院は将軍の応接間。
白書院は公的な行事。
黒書院は日常的な行事に使用。
白書院(約120畳)

大広間に次ぐ格式の高さを持つ殿舎。上段・下段・帝鑑の間・連歌の間より構成。
黒書院 (約78畳)
上段・下段・囲炉裏の間・西湖の間より構成。

中奥(なかおく)
御座の間(ござのま)
将軍の中奥での応接間および執務室。
御休息の間・御小座敷は将軍のまったくの私的な居所。
●五代将軍綱吉までは御休息・御小座敷はなく御座の間で済ませていたが、貞享元年(1684)に若年寄 稲葉正休(いなばまさやす)が大老 堀田正俊(ほったまさとし)を御座の間で殺害するという事件が起きたため、 御休息・御小座敷を設け、さらにそばにあった老中部屋も遠くにした結果、それを取り次ぐ側用人の権力が増大した。
時代によりまた将軍により、細部(とくに中奥)は変化している。
 

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