ビバ!江戸
「品川の客ににんべんのあるとなし」とは?

この川柳は品川の飯盛り女を置いた旅籠を詠んだ句。得意客は増上寺の僧侶と薩摩藩(現在の芝公園南付近)の侍であったことがわかる。侍の字からにんべんを取ると寺になり僧侶のことを指している。


江戸の岡場所(私娼


江戸幕府非公認の岡場所はたびたびの取締りにもかかわらず、いたちごっこよろしく消えては生まれ、幕末へと続く。
岡場所の隆盛は吉原にとって脅威であり、そのつど幕府へは岡場所の取締りを要請した。
幕府にとっては運上金(税金のようなもの)という利益とともに、公認した手前、幕府の権威を保つためにも取締りを行った。
江戸幕府と岡場所と吉原の関係図

私娼のいろいろ
湯女(ゆな) 江戸の銭湯は伊勢の与一が道三堀の銭瓶橋ぎわに作ったのが始まりと言われる。そのなかで有名なのが、西神田の雉子橋通りの堀丹後守屋敷前にあったことから「丹前風呂」と名付けられた風呂屋の「勝山」とういう湯女は江戸中で評判をとった。寛永期全盛、明暦3年すべての湯女風呂が取り潰された。
500文
1,000文
比丘尼(びくに)

尼僧の姿をした私娼。勧進をしながら売春をした。
天和・貞享(1681〜87)ごろ中宿と呼ばれた比丘尼のたまり場も出来る。
 まだたぼのある気でさぐるにわか尼
無意識に手がいく新人比丘尼か

100文〜
200文
けころ(蹴転) 延享(1744〜47)から天明(1781〜88)にかけて、上野の山下を中心にその周辺にいた私娼。
 けころばしごみも無いのに掃いている
前垂れをかけて一見下女風の姿で客を物色している
 200文〜
500文
提げ重
(さげじゅう)

明和・安永(1764〜81)頃はやった私娼。提げ重箱をさげて餅やまんじゅうを売り歩きながら売春をした。個人営業で僧侶のいる寺院や勤番侍のいる長屋を訪れた。
 提重は重たくなると又おろし
重たいのは提げ重箱ではなく、孕んだお腹

1分
(1,000文)
船饅頭
(ふなまんじゅう)
天明の頃、饅頭を売るのを表向きに隅田川の船中で売春をした最下等の私娼。なかには梅毒等のため立つことも出来ない者を船に乗せ客を取らせたと言う。
 舟饅頭ちよっちよっと細い浪が打ち
船中の動きが船べりに伝わって小波が生じている
32文
夜鷹(よたか)

元禄の頃より出没するようになったと言われる。つじぎみ。
「夜鷹屋」という元締めから商売道具の筵(むしろ)や衣装を借りた。本所吉田町と四谷鮫が橋が二大根城。
 客二ツつぶして夜鷹三ツ食ひ
24×2=48 48÷16(そば)=3
 飛び物に夜鷹は客を跳ね返し
夜間屋外限定の夜鷹の仰向いた目に飛び物(人魂)が…

24文

半公認(旅籠一軒につき2名許可 実際は隠れてそれ以上置いた)
飯盛女
(めしもりおんな)

江戸四宿(品川;東海道、千住;日光・奥州街道、板橋; 中山道、内藤新宿;甲州道)の旅籠にいた給仕兼売春婦。江戸の外ということで黙認した。
 飯盛は膳を下げると膳を据え
2度目の膳は別な「ごちそう」の意か

400文
〜600文

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私娼(ししょう)
幕府が唯一公認した吉原(公娼)に対し、非公認・非合法の売春婦。隠売女(かくしばいた)。
公娼は遊女、私娼は売女。  

警動(けいどう)
幕府による岡場所の手入れを警動といった。
検挙された私娼は罰として3年間吉原で無給で働かされた。(奴女郎)  

補足
江戸の吉原

明暦三年(1657)
湯女風呂の繁盛のため、吉原が衰退したため、元吉原から新吉原に移転するのを契機に江戸中の風呂屋がすべて取り潰された。
寛保二年(1742)
比丘尼と武士の情死事件のため中宿が検挙されて比丘尼も姿を消した。

妾(めかけ)
小便組(しょうべんぐみ)
宝暦・明和頃(1751〜1772)より多額の支度金を取り、旗本等へ妾奉公の契約をして、閨房でわざと寝小便をして暇をもらう詐欺行為。
 小便を して逃げるのは
  妾(しょう)と蝉


金額
( あくまでも目安として )
1文=25円とした場合
夜鷹の24文は600円
比丘尼100文は2,500円
飯盛女400文は1万円

古川柳
君は京 嫁は大坂 江戸は鷹
京では辻君(つじぎみ)、大坂では惣嫁(そうか)、江戸では夜鷹と呼ばれた最下級の娼婦。

夜鷹は本所(墨田区南西部)の吉田町を根城にして、寝ござと傘(開いてその陰で)の商売道具をたばねてかかえ、縞模様の綿の着物、帯をうしろで結び、前垂れをかけ、夜陰にまぎれて材木置き場や土手で網を張った。
『江戸風流女ばなし』より

 

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